ムラタ工業株式会社の前身、村田號商店の様子(昭和25年頃)を写真とOBの松本潤さんのお話でお伝えします。
木曽産の檜(ヒノキ)やブナ、楢(ナラ)、米松(ベイマツ)などの原木が鉄道で運ばれてきます。木は明石港あるいは明石城のお堀に貯木されていたそうです。 | ||
駅から2キロあまりの会社まではトラックで運送してもらいました(写真は正月明けの初荷の様子)。 | ||
当時の会社は、現在のように国道沿いではなく狭い市道に面していて、社内には材木置き場があちこちにありました。 | ||
原木を大きな帯ノコで輪切りにしている様子。 | ||
輪切りにした木を柔らかくするために釜で一昼夜蒸しました。 | ||
柔らかくした木を刃を装着したロータリーで薄く剥いているところ。固い「ふし」や異物で刃が欠けてしまうこともあり大変でした。 | ||
薄い板をさらに細断してスダレの材料や蓄電池用の隔離板(セパレータ)に。 | ||
割れているものや「ふし」のあるものを選別しているところです。 |